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★ソーシャルディスタンスを保ってご鑑賞ください。屋内展示において混み合う場合は、入場をお待ちいただくことがあります。

  展示会場

聖天宮 西江寺 梅屋敷 滝前ギャラリー KAJIKASOU(カフェ) 瀧安寺前広場 琴の家横(下流側)
           
 聖天宮 西江寺 Saikouji Temple
  境内
 
   1300年余り前のこと、役行者(えんのぎょうじゃ)が箕面大滝で修行していたところ、ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天(たいしょうかんぎてん)が現れ、箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたと伝えられています。
 本堂には役行者作の大聖歓喜天が祀られ、現在も地元の氏神として「聖天さん」と呼ばれ信仰を集めています。また室町時代中期に作られたという大黒天も祀られています。
   


「アカイロシムラ草」志村 陽子 SHIMURA Yoko

(素材) ポリエチレン、針金
   3月、社会全体が経験したことのない不安に包まれ始めていた時に箕面の森を訪れました。西江寺では、いつもの春と変わらず椿が幻想的に咲き誇っていました...
 私は土地に宿る記憶や何かの気配、生命の息吹の断片のようなものを感じる空間をインスタレーションで表現する事を試みています。
 今回、西江寺の境内に赤い花を咲かせます。古来より赤色は、魔除けや病気の退治に使われてきました。太古から変わらず降り注ぐ霊山箕面の陽光と風に包まれながら咲くこの花は、死生観を求めてさまよう私たち自身の姿です。
ふわふわと揺れる花の中でCOVID-19の怒りが鎮まることを祈ります。
 

「共に ここに 在る」中村 えい子 NAKAMURA Eiko
  植物も動物も人間も、共にこの地球上に在る。
そのバランスが崩れると、地球は怒りを顕わにする。
今、それが崩れている事を、そしてそれが人間の仕業であることを
もっと自覚しなければ!
自分達の事だけでなく、この地球に「共に在る」ということの意味。
生態系全体の視野で考えることが、今大切なのだと!
そんな事を想いながら制作しました。
そして
私達の生活が成り立っている「ハレ」と「ケ」
このコロナ禍で「ハレ」が無くなってしまいました。
もう一度「ハレ」が戻り
張りのある生活が送れる事を祈って・・・

「そこにあるもの」西尾 苑恵 NISHIO Sonoe
   自然とは、自然な形、ありかたとはなんだろうか。
 葉っぱの緑、土、様々なものを映し出す透明なガラス、そこに写る色は何色だろうか、そのガラスの奥にある風景も見て頂きたい。
 2020年、コロナウイルスが多くに広がり、皆が緊張の日々を送っている。
 日常の緊張から緩み自然に目を向け、「そこにあるもの」を探してみて下さい。それは様々な所にある、箕面の森には不思議なエネルギーが流れている、それはどこにあるのか、周りをみて感じてほしい。
 

「BENZAITEN Project」橋本修一 HASIMOTO Shuichi  +橋本 あやめ HASIMOTO Ayame

CG 昇華プリント 橋本あやめとコラボ


   想定外、未知の出来事。人類に立ちはだかる脅威のもと、人と社会のつながりをリモートで続け、生き残りをかけるサイエンスフィクションな時代。
 経済の発展と複雑に絡み合う科学、宗教、哲学、芸術、イデオロギー等。 様々な思考や観念の迷宮の外で微笑む私の弁財天は、コミックスの世界さながらに自由奔放、現代のファッションを纏いロックスターの様に明快でカッコいい。
 人との距離と言う幾何学を意識する今だから、私の中に存在するかもしれない神仏との距離が密になる。
 人と社会のつながりを断つことで見えてくる世界。山岳世界に道を求め、独自の価値観で、孤高の道を歩んだ役行者にあやかって、箕面の森に分け入れば吹く風の様に寄り添う弁財天に出逢う。
 ここは、通俗世界(日常)と神々が交わる想像力を育む森!
 


 
 聖天宮 西江寺 Saikouji Temple
  聖天閣 Shotenkaku
 
   西江寺境内にある聖天閣は、昭和34年、もともと本堂があった場所に客殿として建てられました。今は地域の催しや集まりに利用されています。   10月24日(土)午後1時~4時へは入場できません。

10月24日(土)は西江寺定例会の日

13:30~14:45 西江寺 de ヨーガ (de ヨーガ)
15:00~16:00 阿字観瞑想会 (小倉住職)
場所/西江寺 聖天閣 *それぞれ別途参加費必要
詳細・お問い合わせは 
<西江寺>
または <de ヨーガ講師中井カオリ>


「NOAH」嶋田 ケンジ SHIMADA Kenji
この舟は、過去から来たのか? 未来から来たのか?
はたまた現代社会の心象風景か? そして、どこへ向かうのか?
見ていただく方々に、絶え間なく動く時の流れ(経過)を味わっていただき、
それぞれの想いを膨らませていただければ幸いです。
壊れゆく舟が、時の流れに漂う姿は、今の世にも、リンクしているかも知れません。
時の流れを表現するにあたり、素材として、土は相応しくないかもしれません。
土は即ち、命です。しかし、焼成によって「陶」となり、実際命は奪われますが、
私は、作り手により、新たな命が吹き込まれていると考えています。


「この都市は幸福の理想郷なのか」浜本 隆司 HAMAMOTO Takashi
「都市は幸福の理想郷なのか」というテーマで作品を展示します。
 今、私たちが暮らす都市の密が問題になっています。都市とは人間がうみだす技術と物そして情報が集まる場所で、私達が豊かに暮らせるように進歩してきた場所です。ここで人は物と情報で満たされることで、幸福を約束されたかのような気分になっていきます。
 ですが、「この都市が本当に私たちを幸福にする社会を形成しているのだろうか?」という疑問が私にはあります。
はたして都市は幸福の理想郷なのでしょうか?
張りのある生活が送れる事を祈って・・・

 梅屋敷 Umeyashiki
 
   休憩所として利用されている梅屋敷は、明治の後期にはたくさんあった茶店の中で唯一現存している建物です。網代造り(あじろづくり)の天井に特徴があります。かつて周りが梅林であったことから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。   ※梅屋敷は5時前に閉まります。



  梅屋敷セッションテーマ 「飄逸の系譜」

 世界は言葉で覆われている。でも、言葉で出来ている訳ではない。言葉で説明してしまえば、世界はそんなものになってしまう。
 俳句は何も説明しない。飄々として飄逸。俳句は言葉を使って、言葉になりきれないものを探す。それを読むものは、言葉にならないその何かを、自分で探し求めるしかない。
 そんな俳句を手掛かりに、造形を考えることはできないか? 美術表現に携わる私達にとっても、俳句が示唆するものは大きい。飄逸の系譜、俳句と美術。
 


「水簾に役行者の見たる月」田中広幸 TANAKA Hiroyuki

キャンバス(162×130cm)、アクリル、鉛筆、他(部分)
箕面の滝道は木々に覆われ、傍らには冷涼な水流が絶え間ない。私は歩きながら、ひとつの情景を想像してみた。その昔、道もまだないこの地に踏み入って、水の流れを頼りに、手をつき膝をこすりながら歩を進めた行者がいた。それは月夜の独行であった。やがて行者は滝の音を認めて、はやる気持ちで先を急いだ。ついに眼前に大滝が立ち現れる。月は皓々として大滝に映り砕け、行者はその光に、ただ端然と見入っているのだった。


「断絶の形」コラボ作品
花鋏チューとリップに切るなんて 芳野ヒロユキ  YOSHINO Hiroyuki
×長野久人
 NAGANO Hisato

素材 ミロのビーナスの石膏像にペインティング
 俳人とコラボする展覧会をやり出して6年目に入りました。今回は芳野ヒロユキ氏の俳句とコラボします。芳野ヒロユキ氏の俳句は、意味を超越した言語遊戯であり記号論的な諧謔的世界観でもあると思うのです。十七音の定型詩の中で言葉の概念から自由になった芳野氏の俳句からは、映像が鮮明に浮かび上がってくるのです。 
 言葉の意味を超越した俳句と美術の融合された空間構成をする。




「鏡/月の客」山口良臣 YAMAGUCHI Yoshiomi
 奥の細道の旅で、芭蕉は修験道の聖地、出羽三山を訪れている。三山で人は一度死に、甦る。死と隣り合わせの千日回峰行はもとより、胎内めぐりもまた死と再生だろう。自他の融合を経て自身を外から眺める。

  岩鼻やここにも一人月の客

 これは芭蕉の高弟、向井去来の句。岩頭で月を賞でる風流人を詠んだとする去来に対し、師は、なぜそれが自分だと考えないのかと問う。見るものから見られるものへ、芭蕉の真骨頂だろう。
 見るものをずらし揺るがす装置としての鏡。

 滝前ギャラリー The gallery in front of waterfall
 
  駅から渓谷に沿って40分。
森の散策を楽しみながら
お越し下さい。
 

※滝前ギャラリーは4時過ぎに閉まります。
 時間に余裕を持ってご鑑賞下さい。
 また、雨天時、荒天時は閉鎖します。


「トラロープ」岡本光博 OKAMOTO Mitsuhiro  CG協力:乗田菜々美 NORITA Nanami

w#114 トラロープ 2008 素材:標識ロープ、FRP
photo by masako kakizaki

箕面の森には、ちょうど100年前、国内最大規模の動物園があった。岩盤をくり抜き、レンガで囲った檻が、今も存在する。
 2017年、その檻に作品「トラロープ」を入れるプランを構想したが、“様々な理由!?”から実現できなかった。
 本展では、その実現できなかったプランを、乗田菜々美さんによるCGイメージにして、作品「トラロープ」と共に展示する。
 トラロープ(正式名称:標識ロープ)は、まさに“境界”を生み出すラインであるが、このコロナ禍において、危険/安全、聖域/ケガレ、表現の自由・・・改めて、ラインを再設定する機会ではないかと思う。

 KAJIKASOU(箕面かじかそう) MINOH KAJIKASOU
 
  ●営業時間 10時~18時 
●不定休<特に土日!要確認>

<飲食を伴います>
※「箕面の森アートウォーク2020」ガイドブック提示で5%割引。

 昭和28年に料理旅館として建てられた「河鹿荘」は、滝道を代表する建物として知られていました。現在はカフェとして利用されています。
   

「Project Angel」エトリケンジ ETORI Kenji

スチールネット、ミクストメディア
天使のみち
 箕面の滝道は、古来より修験道の場として、またパワースポットとして人々が参って来た場所であったと聞く。この道には、この世と異界を橋渡す冥途の道であるかのように、霊的な雰囲気を感じさせる空気がある。
 そんな滝道でのアート鑑賞は、社会の中で抑圧された精神や身体性を解放する供儀として、日常空間ではほとんど失われてしまった、現代においての宗教的体験となるかもしれない。
 訪れる方々にとって、日常に溜まった心の澱を洗い流すような体験になれば幸いに思う。

 瀧安寺前広場 Square by the Ryuanji Temple
 
 

●開催日時 11月1日(日)11:00~

案内フライヤー 

パフォーマンス「漂蕩に出づ(ひょうとうにいづ)」酒井 エル  L. SAKAI

(c)Tomoko Kosugi

古(いにしえ)よりこの地に息づく気配は、
地中に、水底に潜み、時に湧き出し空(くう)を漂っている。
今を生きる人を通して表れたがっている。
それらは見えるもの見えないもの、聞こえる音聞こえない音であり、耳を傾け対話をすれば、浮かんでは消えていく泡(あぶく)のように身に映る。
その瞬間瞬間の姿の連なりは、初めて目にするようでもあり、以前から知っているようでもあるだろう。

今、この場限りの賀(よろこ)びの舞が立ち現れる。

   
 琴の家横(下流側) KOTONOYA <対岸からの鑑賞>
 
 

 琴の家は、明治の終わりから昭和にかけて高級料理旅館として営業をしていました。野口英世が母シカを伴って訪れたことでも有名です。
 琴の家の風情あるたたずまいは、今も渓谷を挟んだ対岸から眺めることができます。

 
琴の家(ことのや)

ヴォワイヤン・プロジェクトVoyant Project
「森の中のヴォワイヤン」後見人 今井 祝雄 IMAI Norio

等身大坐像 幅50cm・奥行き90cm・高さ130cm 重さ約9キロ

 フランス語で「見る人」のとおり、"見られる像"でなく、それ自体が何かを"見る像"であるヴォワイヤンは、これまで箕面の森アートウォークでは観客と連れだって往来、沿道の各店舗に日替わりで迎え、また屋根の上に座るなど、この催の狂言回しというべき役割を担っており、僕は作者というより後見人といったほうがいいかもしれません。
 コロナ禍の今年は、3密を避けて緑の中で静かに潜むヴォワイヤンとであってください。