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小泉光子 個展
2011年4月9日〜4月21日

2011年3月、小泉は、4月に予定されていた個展の案内に手紙の掲載を希望した。個展を直前に控え、卵巣癌を告知されていたのだ。そこには、小泉の癌罹患宣告から子宮卵巣全摘出、抗癌剤治療に至るまでの心情が吐露されていた。ともすれば、精神的に落ち込み、何も手に付かなくなり投げやりになりがちだが、小泉の強靭な精神力は、展覧会案内とともに自らの癌罹患を知らせた。「作家は足跡を残してなんぼや。絶対やらなあかん」、相談をした天野画廊の天野氏の励ましの言葉に応えるかのように、術後もベッドの上で作品制作を続けた。その頃、同時期に発生した東日本大震災の被災者に思いを馳せ、自らのおかれた状況を省みず、作品の売上金の寄付を申し出た。

今回の個展では病床にあったにもかかわらず、大小12点もの作品が出品された。フロントギャラリーに大作が5点:「心象風景2011」、「雫の行方」、「飛び立つ風景」、「旗のある風景」、「思い出の風景」。バックギャラリーに「日々のこと」と題する小品のシリーズが7点だ。

小泉の作品世界に通底するのは独自の空間処理である。造形的な空間ではなく、我々が日常生活で目にするあるがままの「空間」が、絵画であろうと立体であろうと、それが構成要素として、美術の文脈に必ず組み込まれているのである。

いわゆるドローイングや絵画など、2次元の作品範疇にはいるものでも、絵画の平面性を維持する努力を放棄している。支持体へ絵の具を塗り重ねることなどで、物理的な力が加わり生じる反り。それらの湾曲した支持体の形態を矯正することなく受け入れ、むしろそれを素材とし、時には繋ぎ、あるいは裂き、または穴を穿ったり貼り合わせたりし、そこに生じた空間をも含めた構成を「絵画」とし、「ドローイング」としている。ごく普通の家庭で目にする壁面に掛けられたカレンダー、冷蔵庫のドアに留められたメモ書きのように「オブジェとしての絵画」をギャラリーの壁面に貼り付けていた。絵画の平面性など小泉にとっては笑止千万と言ったところだろうか。モーリス・ドニやクレメント・グリーンバーグの言質を引きあいに出すまでもなく、小泉の作品は一昔前、平面性、2次元性が絵画として成立する唯一の条件であったモダニズム時代等どこ吹く風と言った風体である。

立体作品(「雫の行方」、「旗のある風景」)で創造された空間も同様に、日々の生活の中に見出せるものである。夜店の照明のためにひかれた電線の弛み、おみくじなどの結び目、七夕の飾りつけに使った紙縒りの結び目や紙片で環を作り、それらを長く繋ぎ合わせた鎖のようなもの、摘んだ草花を数珠のようにつなぎ作った首飾りなどなど。小泉の中では、2次元も3次元も、平面も、立体も、そういった言葉の領域に境界線はないのであろう。

作品構成においては、グリッドやレペティション、などミニマリズムの特徴が見られるが、還元的なあるいは観念的などの他の要素はない。むしろポップアートの影響さえも垣間見える。シンボルとしての国旗の使用などに見られるように、記号論的な解釈もできる。いや、それよりも身体的な触覚性を喚起する柔らかく脆い素材の使用と制作のプロセスを強調する作品などは、エバ・ヘスに代表されるようなポストミニマリストの特徴を多く見せている。

小泉はアカデミックな美術教育を受けていない。そのせいか作品全体から受ける意表をついた造形感覚にしばしば面食らう。アンコンベンショナルな表現手段は意図的か、恣意的か、はたまた偶発的か判然としないが、その作品から「アカデミック」という縛りを見出すことは難しい。そこに小泉の感覚の新鮮さがある。

日常の行為も、出来事も、すべて自分の生きざまを美術の文脈にぶちまける。そこにあるのは、今を生きるアーティストが自らの表現を求めて、ただただ奔放に現代という時空間を自由に飛翔し、着地点を模索した痕跡である。

会期中に訪れた堀尾氏は、その心意気に共感し、フロアーに小泉の作品から派生したかのような即興のドローイングを記した。日常と非日常の境界線のないギャラリーZoneでのインプロバイゼーション。小泉の作品に花を添えるにふさわしいものであった。

コンテンポラリーアートギャラリーZone 代表 中谷 徹