コンテンポラリーアートギャラリーZoneが、「みのお・瀧道 秋まつり 2009」のイベントとして企画した「橋本亭まるごと美術館」は、10月26日から11月8日までの短期間であったが観客動員数、延べ約800人に上った。ご来場者の皆様から、「生まれて初めて現代アートを見てビックリした。」「不思議な空間に身を置いて楽しかった。」「アートの可能性に感動した。」「作品に癒された、元気をもらった。」など、ポジティブなご意見を多数いただいた。 個性豊かな6名のアーティストによる現代アートは驚きと共に興味を持って迎え入れられた。毎日毎日が、瞬間瞬間が、築100年の歴史もつ木造建築物の橋本亭と6人の現代アーティストの放つエネルギーに魅了され続けた2週間であった。 入り口近くに配置された笹埜能史の作品、「DENKEN」は亡き父とのコミュニケーションを企図して制作された。実物よりも数百倍に、巨大に複製された電鍵はその意表を突いた表現ゆえに入場してきた観客の目惹いていた。その名称自体が死語となった今日、観客はものめずらしさも手伝って色々と質問をしたり、キーを押したりして楽しんでいた。 その奥には、見慣れたチョコボールやポッキーの空き箱などが美術作品然として台座に鎮座している。観客は疑心を抱きながら近づき、神妙な表情で眺めているがその瞬間、「位置」、「過剰包装」、「かみだな」などの作品の精巧な細工に驚く。さらに作者の機智やその社会批判を理解するや頬が緩む。作者の池田慎のしたり顔が見えるようだった。 やたみのりは普段、日常生活の中でラベルや包装紙や広告紙などを、また旅行先では切符やお寺のお札や駅弁の包装紙など、自身の審美眼にかなったものを収集している。それを日記のように、日々の思いを吐き出すようにコラージュし、自身の感情、思想などを視覚化していた。それは時には、環境問題であり、世界平和の祈念でもあったりする。その作品群は壁面、通路を覆い隠すように、所狭しと展示され、その奔放な色彩と構成は存在感を発揮していた。 橋本あやめの作品は、日常の身の回りにある端切れや、板切れ、小枝や針金などファウンドオブジェクトを寄せ集めたり、貼り付けたり、時には彩色したりして子供が工作をするように、あるいは女の子が自室をお気に入りの小物で飾り立てるように何の気負いもなく制作されている。その作品には、すがすがしさと、かわいさ、愉しさがある。橋本あやめはセンスあふれるブリコルールである。 階上に目を移すと、二人のアーティストによる大作が展示されていた。 その一人、橋本修一の作品は自身が撮り集めた写真からなる。そのおびただしい色彩と風光が時空を超えて組み合わさり、重なり、新しい文脈を構築し、橋本ワールドを創り上げていた。観客は、室内に足を踏み入れた瞬間、あふれかえる色の洪水に、圧倒され、個々の作品を見極めようと近づき、そこに橋本の手によって再現された見たこともない箕面の光景に出くわし、呆然と見入っていた。 もう一人の、浅山美由紀の作品は二部屋を使用し、それぞれに赤と白を基調としたインスタレーションを見せていた。赤いオーガンジーの布で仕切られた空間には有機的な形体の文様と窓が施され、白い綿布で仕切られた空間には、円形の小窓がここかしこにくり抜かれていた。内なる空間から展望する外界を全くの異空間に作り上げ、外界から覗く閉じられた空間を全く何事からも干渉されない空間として設営していた。日常の中に非日常の世界を、非日常から日常を展望できる、あるいは体感できる仕掛けである。観客は作品に参加することにより浅山の世界を探訪したり黙想したりして、体験できる。 気鋭の6名の現代アーティストの力のおかげで、豊かな個性がそれぞれに競い合い、より大きな力となって今回の展覧会を成功裏に終えることができた。参加していただいたアーティストと裏で尽力していただいた箕面わいわい株式会社の労にねぎらいと感謝の意を表したい。 やまもみじ そのとおきもの ひのごとく 来年の橋本亭100年記念展でアーティストが再び、北摂の箕面の地でお互い切磋琢磨しあって、火のごとく燃えるのが楽しみである。 コンテンポラリーアートギャラリーZone ディレクター 中谷 徹 キュレーター 梶山雅代 |